研究室紹介

   

液体中の電波の振る舞いを調べる

  • 研究室で取り組んでいる研究テーマの一つに液体中で動作するアンテナの振る舞いがあります。この場をお借りしまして、液体中アンテナ研究の顛末記を書き留めさせていただきます。

液体中アンテナ研究の私的事始め

  • 石井が新潟大学工学部に着任したのは、1998年8月でした。この頃、毒物混入事件や 8.4水害があり、全国ニュースで報じられたことをご記憶の方もおられるでしょう。宮川道夫教授(当時、現名誉教授)のお誘いもあり、研究室をご一緒させて頂きました。宮川先生は生体情報工学をご専門とされておられ、当時マイクロ波CT、生体組織への電磁波吸収などの研究に精力的に取り組まれておられました。
  • 石井は学生の頃より小型アンテナに関する簡易放射効率測定法などのアンテナ測定の研究に取り組んでいたこともあり、マイクロ波CT用アンテナの特性測定法として、液体中動作アンテナの利得測定法について検討しました。同じ被測定アンテナを向かい合わせて利得を決定する2アンテナ法を液体中で応用して、液体中で動作するアンテナの利得を測定するものです。しかし、液体中の減衰が大きく、アンテナから十分に離れた位置で信号が測定できないという問題に遭遇しました。1999年に卒研生が実施した実験ではアンテナ間距離を離すとうまくいくが、離しすぎると測定ノイズで測定データは怪しくなり、本来減衰が少ない短距離での利得はうまく推定できませんでした。

組織等価液剤中での標準電界推定

  • 2000年頃、学会や研究会において、携帯端末が送受する電波の人体に対する安全性を定量的に分析する研究が多数発表されていました。その一方で、携帯端末の電波に関する安全性を担保するために、携帯端末使用による頭部等価液剤内での電界分布測定に基づく比吸収率(Specific Absorption Rate, SAR)についての測定法が国際標準化されました。国内では、この標準化活動に対して情報通信研究機構が大きく貢献しています。
  • この標準化活動を裏付けるための研究活動の一環として、SAR測定の肝となるSARプローブ較正について情報通信研究機構と共同研究をはじめることになりました。SARプローブでは、探針の先における電界の大きさを電圧に変換します。標準化文書を渡され、大いに戸惑うと同時に、なじみのある図面が目に飛び込んできました。液体中で動作する基準アンテナの利得を、2アンテナ法で距離を変えながら測定し、基準アンテナの利得を決定するという方法だったからです。この方法には、2つのアンテナが近いと、2アンテナ法により推定される利得が双曲線に類似した形で小さくなるという問題があります。
  • なぜ双曲線のような距離特性となるのか? 論文サーベイを行い、1960年代の開口面アンテナの利得距離特性の論文にたどり着きました。後になってわかるのですが、うまくお膳立てすると、開口面アンテナと液体中アンテナの利得は数式的に同じ問題に帰着するのです。
  • この類似性に気づいてから、早速SAR評価液剤内でダイポールアンテナを向かい合わせて、利得の推定を行い、その結果を利用して、SARプローブの構成を実施しました。利得の推定を行い、それから、SARプローブの較正係数の評価を実施することができました。得られた較正係数は、別の較正方法によって得られた数値とほぼ一致しました。図1に組織等価液剤中における利得の距離特性の測定例を示します。
  • 図1:組織等価液剤中における利得の距離特性

低周波数への展開

  • 2007年、MITの研究者らは空間に電力を飛ばし、白熱球を点灯させる実験とともに、その理論を公表しました。これを契機に無線電力伝送の研究開発が数多く着手されました。大きな電力を扱うため、無線電力伝送で使われる電磁界が人体に影響を及ぼさないのか、すなわち、電磁界のレベルが電波防護指針に適合しているかを確認する必要が生じました。そこで、携帯電話やスマートフォンの周波数帯で利用されているSAR評価を周波数拡張して、kHz帯やMHz帯といった無線電力伝送に用いられる周波数帯で実現する研究に着手しました。問題となったのはSARプローブ較正でした。2アンテナ法に基づいて液体中基準アンテナの利得を決定しようとすると、水槽内で最大限確保できる距離が波長に比べて短く、利得が一定となる距離を確保できないことがわかりました。そこで、利得の代わりに送信アンテナ係数に着目し、距離収束性の遅さを解消しました。送信アンテナ係数のアイディアは、電子技術総合研究所(現産業総合技術研究所)の研究者が導入された、空気中ループアンテナ較正で利用されるループ送信アンテナ係数から着想を得ました。
  • このアイディアをもとに、共同研究先の情報通信研究機構との連名で、国際会議にて発表させていただいたところ、2018 IEEE Antennas and Propagation Ulrich L. Rohde Innovative Conference Paper Award on Antenna Measurements and Applications(IEEE Antennas and Propagation Society)を受賞するという栄に浴しました。この研究に関わってくれた多くの学生さんの地道な積み重ねの賜物であると考えております。感謝申し上げます。
  • さて送信アンテナ係数の導入により、理論的にはkHz帯とMHz帯におけるSARプローブ較正問題を解決できたわけですが、実際に測定を行うと難敵が現れました。図2の測定値に示すように、ある距離まで離れると、受信レベルの減少の割合(距離に対する傾き)が緩やかになってしまうという現象が生じてしまったのです。
    図2:kHz帯アンテナ間伝送特性の距離特性(no gated:測定値,gated:ゲーティング適用)

  • この原因は、ケーブルに不平衡電流が流れるためでした。そのポピュラーな対策は、多くの方がご存じと思いますが、フェライトコアをケーブルに取り付けて、ケーブルに流れる不平衡電流を抑制することです。しかし、kHz帯になると、市販のフェライトコアでは太刀打ちできず、別の方法に頼るしかありません。図2は、タイムドメインゲーティング法により不平衡電流を取り除いた例を示していますが、現時点では、ケーブルを光ファイバに置き換え、物理的に不平衡電流が流れないようにしようという方針で検討を進めているところです。

水槽から海へ、そしてまた水槽へ

  • 2014年夏の北海道大学で開催された国際会議でのことでした。ある大学の知り合いの先生から、何か一緒に研究できないかなという呼びかけがあったのです。何か面白いことをやってみたいということだったので、知り合いの研究者を誘って、どのような研究テーマ設定をしようかと何度も鳩首協議しました。その帰結として、海中電磁界をテーマに研究を進めようとなったのです。海中電磁界となると話が大きすぎるので、浅瀬でダイバーが遭難者を救助するシーンを想定し、電磁波でダイバーの位置を推定するシステムを考えてみようということになりました(図3参照)。そのためには、アンテナ開発が必要となり、位置推定アルゴリズムを考える必要もあります。それからもう一つ忘れてはいけないのは、人手やコストをかけずに、実験室でモデル実験を行うことです。
  • 図3:海中ダイバー位置推定

  • スケールダウンしてモデル実験を行うことは、電磁界の分野でよく行われることです。原理的には、マクスウェル方程式からスケール則を導出します。海水が導電媒質とみなせるとき、サイズを1/n倍にして、海水の導電率を変更せず、つまり、海水のままにして、周波数をn2倍とすればよいことがわかります。この変換関係を疑似スケール則と呼ぶことにしました。実際に、水槽に疑似スケール則モデルの送受信系を構築し、その間の伝送特性の分布を3次元的に走査すると、スケールダウン前のモデルをFDTD計算した結果と相似の分布が得られます。ご参考までに、測定に使用した実験系を図4に示します。
    図4:疑似スケール則モデル実験系

  • さらに驚くことに、ラテラル波(先頭波ともいう)と呼ばれる興味深い波動現象も観測されていたのです。これは水槽内で大気と海水が層構造になっていることに起因しており、送信アンテナから受信アンテナまでの間を海中で直線的に進行する直接波と、送信アンテナから直上海面まで進み、海面に沿って進んだのち、受信アンテナ直上海面より受信アンテナまで進むラテラル波が存在するのです。ラテラル波が観測されるのは、その伝達経路での減衰量が直接波の減衰量に比べて小さいときに限られます。イメージを膨らませていただくため、ざっくりとした言い方をさせていただければ、送信アンテナからある程度の距離までは海中を直接波が伝わり、それ以降ではラテラル波が伝わるという感じです。いわずもがな、このラテラル波の寄与も含めて位置推定アルゴリズムを構築する必要も出てくるわけです。

衷心感謝

  • 水中の電磁界の振る舞いを研究といっても、煎じ詰めていえば、水槽に2本のアンテナを挿入し、それらの位置関係を変化させて、送受信特性を測定しているだけです。我ながら、よくもまあ話がいろいろと膨らんだものだと苦笑したくなります。水槽実験に限定して言わせてもらえば、現象の探求、実験における問題点の解明というのは、気が付いてみれば、先人たちの偉大な足跡の中にヒントが隠されていたりすることが多かったような気がしてなりません。
  • 最後になりましたが、水槽に液体をためて、アンテナを動かし、アンテナ間の距離特性を何度も測定して頂いた多くの石井研究室所属した院生・学生の皆さんに感謝を申し上げます。本研究室紹介が皆さんへ研究の事後報告となれば幸いです。

謝辞

  • この原稿は悠久会時報141号に寄稿した記事に手を加えたものです。

参考文献(作成中)

  • [1]